トピックス──「ピースリングオブグアム」の活動などのトピックスです。

 

2011年3月1日
会報紙「遺烈」
グアム島に英霊の遺骨収集に同行していただいた、NPO法人JYMA日本青年遺骨収集団の方が硫黄島での大規模遺骨収容派遣として参加され会報紙の遺烈に報告文が掲載されています。
 会報「遺烈」その一
 会報「遺烈」その二
 会報「遺烈」その三


 
 




 

2011年3月1日
会報「千鳥ケ淵」
1月30日に「ピースリング・オブ・グアム・ジャパン」関係者の出席、参列のもと千鳥ケ淵戦没者墓苑にて新年のお参りを開催したことが、会報「千鳥ケ淵」に掲載されました。

 
 




 

2011年2月7日(月曜日)
幹事長 松本誠がグアムで法要
「ピースリング・オブ・グアム・ジャパン」幹事長 松本誠がグアムを訪問し、地元関係者と会い法要を行いました。当日の様子はコチラです。


 
 


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2011年1月30日(日曜日)
前衆議院議員土屋正忠氏のブログに掲載
前衆議院議員土屋正忠氏のブログに千鳥ガ渕戦没者墓苑で行われた慰霊祭に出席された事が掲載されました。
http://blog.livedoor.jp/shugiin08846/


 
 

 




 

2010年12月15日(水曜日)朝日新聞
遺骨収集「国の責務」
菅直人首相が硫黄島を視察され、遺骨収集は国の責務であり硫黄島以外の地域にまだ残されている遺骨の取り組みも強めたいと語った記事が掲載されました。


 




 

2010年10月20日 訃報

ピースリンググアムジャパン会長で
玉砕の島グアムからの帰還兵士であられる
石川真澄氏が10月20日永眠(享年90歳)
されました。

ここに生前のご厚誼に深謝申し上げ
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

尚ご葬儀には
600名の会葬者がありました。

故人の生前のご人徳が偲ばれました。

故人の意志であります
ピースリングオブグアムジャパンの方針
「先の大戦を風化させない」
「亡き英霊の供養と御遺骨の収集」
「現地島民との友好」等
継承していくことが
故人への最大の供養です。


ピースリングオブグアムジャパン 広報室







 

2010年9月6日 拝礼式

8柱の英霊の御遺骨がグアム島から帰国して
厚生労働省において高級官僚の方をはじめ
援護局外事室の方々が多数出席され
ピースリングからも遺族が出席し、おごそかな中にも厳粛に拝礼式を執り行いました。

グアム島の工事現場に残る2柱の英霊と思われる
御遺骨は、近日中にも掘り起こして鑑定をすると
厚労省から話がありました。
なお、グアム島で戦死した1万8000有余の英霊の
御遺骨のうち、日本に帰国できた御遺骨は
いまだ500柱位ということでした。

今後も多くの英霊の御遺骨を日本にお連れする活動を続けてまいります。

9月8日 
ピースリングオブグアムジャパン 広報室

 

 







 

ピースリンググアムからのお知らせ
2010年9月1日
グアム島で、この度8柱の英霊のご遺骨を収集して、8月30日焼骨式を終え、日本にお連れしました。

9月6日 13時半より、厚生労働省にて拝礼式を執り行いますので、お時間が許す方はご参集ください。

ピースリングオブグアムジャパン 広報

 







 

2010年4月

松本平太郎代表が
知的情報マガジン「insight」で
紹介されました。

美容室経営について、また、「ピースリング・オブ・グアム・ジャパン」の現在の活動について、俳優の東武志さんとの対談が掲載されています。






 

2009年11月24日(火曜日)
グアム在住の日本人会の有志によりグアム島に2ケ所ある太平洋戦没者慰霊塔の清掃と供養から始まったピースリングオブグアム。

そのピースリングオブグアム代表である高木夫妻は『遺族ではないにも関わらず』とても熱心に、太平洋戦争で戦没された方々の慰霊活動を中心に、慰霊記念碑建立と供養などの活動協力を行なってきました。

でもでも実は・・・なのです!

高木代表典子夫人の叔父さま(富岡繁次郎さん、所属野砲兵第一連隊第三大隊)が太平洋戦争グアム戦で玉砕され靖国神社に合祀されたことが、すぐ先日判明しました。11月13日、高木夫妻はピースリングオブグアムジャパンの松本代表夫妻、内藤副代表、グアム戦の勇士を称える演劇を主催する劇作家の奈美木映里さんと共に靖国神社、千鳥が淵戦没者墓苑に詣で献花してご冥福をお祈りしました。

本当にとても不思議な縁を感じずにはいられない出来事でありました。

ピースリングオブグアムジャパン 広報

 







 

2008年5月19日(月曜日)
グアム島地元紙「PACIFIC DAILY NEWS

「私達は忘れない、しかし、彼らの事は許します。」
記事中には、戦争中の出来事、慰霊記念碑の建立の経緯とその意味について、またこの記念碑建設でピースリング・オブ・グアムが募金活動を行い多くのグアム戦関係者から寄進があったことが紹介されています。

 また、慰霊碑建立に参加された方のインタビューが紹介されました。
 父親が日本軍が侵攻たときに捕らわれ働かされた、地元民のホーキンス氏(当時5歳)は「私たちは忘れません、しかし、彼らの事を許します。戦争のことは忘れられないが、私たちは許せます。」そして、この慰霊碑の建立が意に適った事だと、また「戦争当事者(日本人とアメリカ人)が、慰霊碑の建立を一緒に行うことはとても素晴らしいことだ」とも語った。同じくグアム副知事も同様なスピーチをされた。
 アガット村の村長キャロル・タヤマ村長は「この慰霊碑は、日本の人々とグアム島チャモロの人々が共に平和と協調を育む基となるでしょう。そしてこの慰霊碑は、平和と言う希望を写す、大変重要で意義深いものになると思います」と語られました。他に、高木会長、ケン芳賀氏の言葉も掲載されています。

 また、記事の最後に、ピースリング・オブ・グアムが今後の活動の予定として、メリッソ村の参道の設置を行う事が紹介されました。







 

2008年5月2日(金曜日)東京新聞
「悲劇超え平和を刻む」
グアム島のアガット村の慰霊碑とピースリングオブグアムの活動についての記事が掲載されました。



 

「慰霊碑除幕式に靖国神社より宮司派遣」
5月18日のグアム島の南部、アガット村の慰霊碑除幕式に靖国神社より宮司2名が派遣されました。



 

2006年4月12日(水曜日)東京新聞(夕刊)
「過去を克服、平和の祈り」
2006年3月6日の定例慰霊塔清掃を伝える記事が新聞に掲載されました。当日はジーゴで戦没者慰霊碑の除幕式も行われ、日本の遺族、ピースリンググアム会員、アメリカ人など合わせて約50人 もの出席がありました。翌日はピースリングオブジャパンと一緒に戦跡を巡り慰霊を行いました。


2006年4月12日(水曜日)東京新聞(夕刊)